雨垂雑記

百合好きの備忘録

名曲紀行 vol.22 セヴラック《ラングドックにて》より〈農家の市の日〉

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デオダ・ド・セヴラック(1872~1921)

おはようございます。Raindropです。

 

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今朝は、フランスセヴラック作曲《ラングドックにて》より〈農家の市の日〉をお届けします。

 

いやぁ、ついに来ました。セヴラック。

といっても、日本ではまだまだ有名な作曲家とはいえない知名度ですが、もうこの日が来るのを心待ちにしていました。それくらい大好きな作曲家です。

 

フランスといっても、先日紹介したフォーレや、皆さんご存じのドビュッシーなどとは対照的な「田舎の」作曲家です。

というのは、彼が南フランスの郊外に生まれ、パリのスコラ・カントルムで学んだのですが、パリの空気がどうしても肌に合わず、故郷に戻ったのです。

 

ただ、パリではヴァンサン・ダンディブランシュ・セルヴァといった貴重な出会いを得て、その後の作曲に大きな影響を受けていることからも、彼のパリ時代は大切なものでもあったことがわかります。

 

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ヴァンサン・ダンディ。スコラ・カントルムの創設者。

 

しかも、彼自身「田舎の作曲家デオダ・ド=セヴラック」と署名したほど、故郷の風土に誇りを持っていたのです。

そんな素朴で魅力的な音楽を、ドビュッシー「彼の音楽はとても良い香りがする。土の薫りがする素敵な音楽だ」と評したほどです。

 

今夜の一曲〈農家の市の日〉も、そんなセヴラックの魅力の詰まった曲です。

《ラングドックにて》の最後を飾る曲で、にぎやかな定期市の日の村の光景が鮮やかに描き出されます。

パリで輝かしい成功を収めたにも関わらず、都会の気取った空気に背を向け、農夫たちと土にまみれながら楽しく暮らすことを選んだ彼の心が映す、村の情景。曲の終わりで鳴るのは、夕暮れを告げるアンジェラスの鐘

 

西洋の人にとって、教会の鐘の音というのは、中世から続く大切な暮らしの一部。鐘を聴いた農民たちは、敬虔な気持ちにもなったでしょうし、「さあ、今日の仕事は終わりだ!」と解放感も味わったことでしょう。

 

セヴラックの家は、とても敬虔なカトリックの家だったそうです。

 

やさしい夕暮れの風の中に、穏やかな土の匂いに、南フランスの夕暮れを感じてください。我々が忘れてしまった大切なものを、彼の音楽は教えてくれます。

 

演奏は、アルド・チッコリーニ

 

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参考文献

①『セヴラックピアノ作品集3』館野泉・久保田春代編、音楽之友社、2004

②「ピアニスト 深尾由美子オフィシャルサイト」より「ラングドック地方で」(

http://www.severac-note.com/enlanguedoc.html,2022/03/21閲覧)

名曲紀行 vol.21 シンディング《6つの小品》より〈春のささやき〉

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クリスティアン・アウグスト・シンディング(1856~1941)

 

おはようございます。Raindropです。

 

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今朝は、ノルウェーシンディング作曲《6つの小品》より〈春のささやき〉をお届けします。

 

シンディングは、かのグリーグ亡き後にその後継者とされた作曲家で、作風の上ではドイツロマン派の影響を強く受けました。事実40年近い年月をドイツで過ごしており、故国ノルウェーの音楽界よりも、むしろドイツの音楽界と深いつながりがありました。

 

そんなシンディングは、それはもう生粋のワグネリアンワーグナー大好きな人、ということですね。そのうちワーグナーについても扱えたらと思いますが、作曲の技法や作風のうえでも、ずいぶんワーグナーの影響が入っています。

 

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リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)

 

彼にとって不運だったのは、ちょうど人生の最後に差し掛かった時期に、ナチス・ドイツが活発化してしまったことでした。

 

ドイツやアーリア人といったものについて歪んだ信仰をもっていたナチス・ドイツは、音楽の分野でも、ワーグナーに続いてシンディングにも目を付けます。結果、シンディングの音楽までもがプロパガンダに利用され、戦後はその罪を負う形で作品のほとんどが演奏されなくなってしまったのです。

 

馬鹿な話だと思いませんか?

 

なんだか昔の話のようで、その実最近も似たようなことがありましたが……(とはいえ、現在チャイコフスキー1812年》のようなロシアの戦争を礼賛するような作品は自粛してしかるべきかと思いますが、シンディングには戦争やナチス・ドイツを礼賛した作品はありません)

 

それでも、その強烈な魅力によって、いかに戦後 “枢軸国的なもの” に対する攻撃をあちこちに仕掛けた連合国といえども、ついに表舞台から抹消することができなかったのが、この《春のささやき》なのです。

 

北欧の春というのは、我々の感覚以上に喜びに満ちたもののようです。

長く厳しい冬を越え、ようやく暖かな光を目にした喜び。ふとした瞬間に、雪の合間に木の芽を見つけた喜び。

そん希望の春の息吹が美しく歌われた至高の小品です。

 

聴いてみるといかにも難しそうですが、実は演奏はそこまで困難ではありません。同じ音型が繰り返し登場し、それが移調・交錯する形で曲のほとんどが構成されているので、ひとつの形を手になじませてしまえば、案外弾けるのです。

 

しかし、ひとつだけ注意してほしいことがあります。

この曲は、agitato(激しく)の指示がありますが、始終激しい曲というわけではないのです。

 

どちらかといえば、春の、ほとんどむせるくらいの生命の躍動、喜びに包まれた季節の色彩豊かな情景をたっぷりと歌う曲なのです。

 

旋律は、やさしく、なめらかに。ノルウェーのおだやかな春に、思いを馳せてみましょう。

 

音源はかなり迷いましたが、今日は二つご紹介。

 

一つはピアノ・ソロバージョン。同郷のピアニスト、クヌート・エリック・イェンセンの演奏です。

 

もう一つは、オーケストラとピアノのバージョン。ハリウッド・ボウル交響楽団とレナード・ペナリオのピアノでお楽しみください。

 

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名曲紀行 vol.20 ブルグミュラー《18の性格的な練習曲》

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ヨハン・フリードリヒ・フランツ・ブルクミュラー(1806~1874)

 

おはようございます。Raindropです。

 

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今朝は、ドイツブルグミュラー作曲《18の性格的な練習曲》より14~18番です。

 

あれ、ブルグミュラーかよ、と思った方もいらっしゃるかもしれません。

 

ピアノを習ったことのある多くの人は、《25の練習曲》を始めのころにやって、それきりだからです。アラベスクとか、貴婦人の乗馬とか。それも素敵でしょう。けれど、どこかでもうとっくに過ぎ去った単なる練習曲、と思っていないでしょうか。

 

しかし、ブルグミュラーを侮るなかれ。今回ご紹介する《18の練習曲》は、それほど有名にはなりませんでしたが、より一層の音楽性を要求される曲集ですし、内容も《25の練習曲》と遜色ないくらい、事によってはそれ以上に充実しています。

 

 

さて、とはいえ、まずは教育者としてのブルグミュラーに触れておかなければならないでしょう。

 

ドイツのレーゲンスブルクに生まれた彼は、生涯でピアノ学習用の教本を合計三冊作っています。

おなじみ《25の練習曲》(Op.100)、《12の旋律的で華麗なる練習曲》(Op.105)、そして今回取り上げる《18の性格的な練習曲》(Op.109)です。

 

練習曲というと、なんだか機械的でつまらない印象があるかもしれません。

 

例えば——これを例に出すと怒られてしまうかもしれませんが——ツェルニーの《30番練習曲》などは、あまり面白いとは言えないのではないか。

あとは、サティが揶揄した(これもそのうちご紹介できれば……)クレメンティとか。

 

面白い音楽とは何か、という問題はありますが、聴いて楽しく、弾いて楽しいものを仮に「面白い音楽」だとすると、ツェルニークレメンティの練習曲は、さほど面白くない……というのが、個人的な感想です。

 

あ、もちろん、リストショパンの《練習曲》は別ですよ?

 

そこへ来ると、ブルグミュラーは別格です。

 

まずタイトルが、弾く人の興味をそそります。ピアノは何歳から始めてもよいものですが、練習に飽きやすい子供たちでも、色とりどりの情景が浮かぶような、楽しいタイトルがつけられた曲というので、まず素晴らしい。(ただ、このうち《12の旋律的で華麗なる練習曲》には曲ごとに絵画的なタイトルはつけられていませんが、それを補って余りある内容を持っています)

 

それだけでなく、彼が作曲した三つの練習曲集は、内容的にもとても充実しているのです。

 

要するに、単に技術があるだけでは、きちんとした曲にならないのがミソ。

 

舟歌(25の練習曲)、〈ゴンドリエの歌〉(18の性格的な練習曲)の二つは、音楽の一様式「舟歌」ですが、ヴェニスのゴンドリエの情景、水の音や色舟が渡ってゆく川の空気感など、曲にまつわるいろいろな要素をじゅうぶんに想像して、表現するのが大切になってきます。

特によく言われる「歌う」ことができないと、つまらない曲になってしまうのが怖いところです。

 

そんなブルグミュラーの一筋縄ではいかぬ《練習曲》。

 

聴いたことがない方も、遠い昔に練習したまま、楽譜が本棚の奥に眠っている方も、この機会にと思って聴いてみましょう!

 

なんなら、弾きなおしてみると、思わぬ発見があると思いますよ。

 

本日お聴きいただくのは、記事のタイトル通り《18の性格的な練習曲》から、14番〈ゴンドリエの歌〉、15番シルフィード(風の精)〉、16番〈別れ〉、17番〈行進曲〉、18番〈紡ぎ歌〉。五曲続けてお届けします。

 

特に14番は、ヴェニスの船頭さんがリフレインを口ずさみながら通り過ぎ、澪を引いて霞む運河のはるか向こうへ遠ざかってゆく、そんな情景の浮かぶ曲で、ぼくの一番のお気に入りです。

 

演奏は、私がブルグミュラーを再発見するきっかけとなった、永井充さん。

日本で一番ブルグミュラーを色彩豊かに歌われる方だと思います。

 

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名曲紀行 vol.19 エネスク《組曲 第2番》

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ジョルジェ・エネスク(1881~1955)

 

おはようございます、Raindropです。

 

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今日は、ルーマニアエネスク作曲《組曲 第2番》をお届けします。

 

このエネスクは、実は前に紹介したフォーレのお弟子さん。

ウィーン音楽院とパリ音楽院に在籍したそうで、フォーレパリ音楽院時代のお師匠さんということになります。

 

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ガブリエル・ユルバン・フォーレ

そのため、こちらもやはり以前ご紹介したラヴェルとは、同窓の親友でもありました。音楽家って、いろいろなところでつながっていますよね。

 

では、そのエネスクはどんな人だったのか。

 

ルーマニアリヴェニ村生まれのヴァイオリニストにして作曲家。

ウィーン時代は〈悪魔の踊り〉で知られるヘルメスベルガー2世らに学んでいました。

しかも、音楽史に残るほぼすべての曲を暗譜で演奏・指揮できたという化け物みたいな人です。

 

作風が生涯を通して変わり続けた作曲家ですが、その根底に流れる「パルランド・ルパード」というルーマニアに伝わる哀歌の旋律だけは、変えずにずっと大切にし続けた人でした。

 

そんな偉人を顕彰して、今このリヴェニ村は、「ジョルジェ・エネスク」という名前の自治体になっているのだとか

 

故郷ルーマニアの音楽を、バルトークとはまた違った形で探求し続けた彼にとっては、それはうれしいことでしょうね。

 

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ルーマニア地図(Google Map)。赤いピンはジョルジェ・エネスク村

 

そんなエネスクが作り上げたピアノ作品の最高傑作がこの《組曲》。

 

ヴァイオリン作品ばかりが注目されがちなエネスクの作品の中では異色なほど人気のピアノ曲です。

 

私がこの曲に出会ったのは、シャルル・リシャール=アムランがコンサートのアンコールで、第三曲〈パヴァーヌ〉を弾いてくれた時でした。

なんて美しい曲なんだろう、と思い、会場で模造紙か何かに「エネスク〈パヴァーヌ〉」と書いてあったのを写真に撮った記憶は、今ではちょっと遠く懐かしい思い出です。とはいっても数年前の話のはずなんですけどね。

 

バッハに傾倒し、バロック音楽に親しんだエネスク。

彼が、この上なくシンプルな名前の曲集を編むにあたって選んだ四つの形式は、どれもバロック時代に大流行した、当時すでに「古典」になっていた、典雅な舞曲でした。

 

 

1.トッカータ

トッカータ〉は、バッハのオルガン曲や《平均律》などでおなじみ。スピードの速いパッセージや、華麗にして繊細な音型の変化がめまぐるしく登場するような、どちらかといえば即興的な音楽です。

オルガンの「試し弾き」がその名の由来になっていますが、エネスクはそんなトッカータの形式を保ちつつ、近代的な音色を駆使して、とっても洒脱な、しかし同時に情熱的な楽曲に仕立て上げました。

初めて聴いたとき、この世にはこんな美しいメロディーがあったのかと、しばし放心したものです。

 

2.サラバンド

サラバンド〉は、バロック時代の舞踊組曲の代表選手。

サラバンドの起源については諸説ありますが、ラテンアメリカからヨーロッパに伝わり、またたくまに庶民の間で大流行したようです。

 

ちなみに、ラテンアメリカのそれはリズミカルでグルーヴを伴うものでしたが、海を越えたサラバンドは動きがゆっくりになり、卑猥な感じになったようで、1583年と1614年には禁止令まで出ています。その後禁令が解かれ、ゆったりとした曲調が人気になり、フランス宮廷で流行。振付などは厳かになり、次第に洗練されていきました。

 

エネスクが意識したのは、間違いなくフランス宮廷に入ったあとの洗練されたサラバンドでしょう。

 

優雅や荘厳さの中に、哀愁が見え隠れするこの曲。それは、やはりエネスクが大切にしたルーマニアの哀歌に由来するものなのか、それとも宮廷文化の裏に秘められた淡い孤独と悲しみに由来するものなのか、ぼくにはわかりません。けれど、かつてクープランに「見え過ぎてしまった」斜陽のフランス宮廷に渦巻く王族の悲哀そのもの、もしくはそんな歴史への哀悼をこの曲に見出すのは、穿ちすぎでしょうか。

 

3.パヴァーヌ

そして、私がエネスクを知るきっかけとなった〈パヴァーヌ〉。

師匠フォーレに触発されたと思われる、比類なく美しい曲です。(そのうちフォーレパヴァーヌも紹介させてください。クラシック音楽の中で一番大好きな曲なので!)

 

曲の冒頭、はっとするようなレチタティーヴォチックな幕開け。エネスク独特の響きとフレーズをもって、やさしく、過ぎ去りし日の古典舞曲が映し出されます。

 

パヴァーヌというのはゆったりとした宮廷舞踊のこと。

 

パドヴァの踊りから転訛したとも、女性が踊る様子から「孔雀(pavo)」に由来するともいわれていますが、何にせよ優雅で、しめやかな踊りです。

 

4.ブーレ

この〈組曲〉のラストを飾るのが、とっても快活な舞曲〈ブーレ〉です。

ブーレというのは、フランスのオーベルニュ地方で生まれた、いわゆる「地元の人たち」の踊り。

 

音楽でそういうのが出てくると、大抵活発で軽快、楽し気な感じになりますが、この踊りもご多分に漏れず楽しい感じが突き抜けています。

 

それが宮廷に入り、やはり洗練されて、しかし快活さは残したまま、今に残る〈ブーレ〉になったようです。

 

オック語(フランスのラングドック地方などで話されている(いた)言葉。そのうちセヴラックをご紹介するときにもう少しお話しすることになるでしょう)で「詰め込まれた小枝の束」という意味の borrèia に由来するという説があります。

 

活気に満ちた明るい古典舞曲と、エネスクの愛した近代ルーマニアの音色が融合した、曲集のラストを飾るにふさわしい壮大な曲になっています。

 

 

さて、今日はなんと四曲(!)お聴きいただくことになりますが、どの曲も、はるか昔のシャンデリアの下に踊られた舞曲と、洒脱な近代の音色が融合した名品ぞろいです。

 

20世紀ルーマニアが生んだ天才の手によって編まれた、この《組曲》。

 

それぞれの小品が、聴く者の心の奥に迫り、ときに涙すら催させる秘密は、ーロッパの歴史そのものに隠されているのかもしれません。

 

演奏は、シャルル・リシャール=アムラン。

ご本人の公式チャンネルでご覧ください!

 

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名曲紀行 vol.18 ディーリアス《春初めてのカッコウを聴いて》

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フレデリック・ディーリアス(1862~1934)

 

こんにちは。Raindropです。

 

さて、今日も昨日に引き続き名曲紀行のお時間です。

 

本日は、イギリスディーリアス作曲《春初めてのカッコウを聴いて》をお届けします。

 

もうだんだん春がやってきましたね。そんな季節にぴったりの曲です。

 

ディーリアスはイギリスの作曲家。今年で生誕160年を迎えました。

 

とはいえ、生涯の大部分過ごしたのはフランス。しかも、両親がドイツ人という、なかなか色々な国のエッセンスを併せ持つ作曲家です。

 

音楽にも絵画と同じく「印象派」と呼ばれる(あるいは自称する)人々がいました。発祥はもちろんフランスで、ドビュッシーラヴェルに始まったとされますが、基本的には絵画で興った印象派の運動に触発された形です。

 

ディーリアスは別に印象派を自称していたわけではないのですが、曲の鑑賞や分析のうえでは印象派的な” 作曲家と言われます。

 

この「印象派」という言葉に囚われすぎるのもよくないのですが、まぁ彩色やイメージ(フランス風に言えばイマージュ)を大切にしたのは共通していますから、とりあえずよいのではないでしょうか。

 

先ほど、ディーリアスが過ごしたのはほとんどフランス、というお話をしましたが、22歳まではイギリスにいました。なので、作曲の上でも、幼少期から青年期までを過ごしたイギリスの自然や街並みの美しさは、しっかりと曲に息づいているといえるでしょう。たとえ、ディーリアスがそれを意識していなかったとしても。

 

この曲は《小オーケストラのための二つの小品》の二曲目。いわゆる ”音詩” に分類されます。交響詩のちっちゃい版と思っていただければよいと思います。

 

曲を通してクラリネットカッコウの声が表現され、暖かく美しい春の訪れを告げるのです。

 

第二主題にはノルウェー民謡「オーラの谷にて」が用いられていますが、これはディーリアスが親交を結んでいたグリーグの影響によるもの。この民謡はグリーグ自身、《伝承による伝承によるノルウェー民謡》というピアノ曲集の中の一曲に、そのままのタイトルで用いています。

 

ただ、そこまで背景知識を意識しなくとも、この曲に香る旋律の清純さ、穏やかな春の色どりは、誰であっても素直に感じることができるでしょう。

 

冒頭の絶妙な和音は、ディーリアス・マジックとも呼ばれるそうですよ。

 

カッコウの声を映した旋律が何度も繊細に形を変えながら現れるその音楽は、カッコウの声だけでなく、イギリスの春の息吹を運んでくれます。

 

演奏は、ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 

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名曲紀行 vol.17 ステンハンマル《三つの幻想曲》

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ヴィルヘルム・ステンハンマル(1871~1927)

こんばんは。Raindropです。

 

今日も名曲紀行のお時間です。

 

今夜は、スウェーデンステンハンマル作曲《三つの幻想曲》です。

 

ステンハンマルの名はあまり知られてはいませんが、母国を同じくするブロムシュテット氏が指揮する交響曲クラシック音楽館などで聴いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

 

スウェーデンの首都ストックホルムに生まれ、ピアニスト、指揮者、作曲家として活躍した多才な人物でした。このうち作曲は独学だそう(!)

 

今日ご紹介する曲でお分かりかと思いますが、ものすごくしっかりした構成、魅力的なメロディーを持つ曲をたくさん世に送り出していますから、天才の独学というのは恐ろしいですね。

 

日本でこそあまり話題に上ることが少ない作曲家ですが、祖国スウェーデンでは第二の国歌《スヴァーリエ》の作曲者として名が通っています。どこかシベリウスに似ていますね?

 

ちなみに、ここまでスウェーデンスウェーデンと書いてきましたが、スカンジナビア半島の中でどこがスウェーデンがお分かりですよね?

 

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スウェーデン地図(北欧トラベル様HP*1より)

 

さて、このステンハンマルを紹介するにあたり曲はかなり悩みましたが、一曲目から強烈な印象を残し、聴いた後も長く尾を引く幻想曲をお届けします。

 

ドイツの影響を受けているということですが、確かにメンデルスゾーンシューマンのようなメロディーを感じます。まぁ素人考えですから、専門の方は「いやいや、そんなことない」と思われるかもしれませんけれども。

けれど、彼が音楽を学んだのはベルリンですから、ドイツの影響もあって当然でしょう。

 

ちなみに、偶然というか運命というか、ステンハンマルが生まれたのは1871年、つまりドイツ統一の年です。彼の生きた時代がなんとなく想像できるのでは?

 

北欧ということで、特に一曲目はカスキの《激流》のような雰囲気ですが、より一層ドラマチックで、タイトルの通り幻想的な雰囲気が漂います。そして何より、澄み切った空気の刺すような冷気、更には極寒の国だからこそ際立つ暖かさが織りなす、美しい音楽。

 

私は、特に一曲目が大好き。サビのメロディーなど、何度聴いてもゾクゾクします。三曲目の途中にも出てきますが、本当に回想の絶美です。

弾いても楽しいですが、なかなか重厚さと流麗さが両立できません……(^^;

練習しがいのある曲、ともいえますがね。

 

それぞれ単品で演奏されることもありますが、一曲目から三曲目まであわせて一つの作品です。スウェーデン・ピアニズム最高峰の「音のタペストリー」と言っても過言ではないと思います。

 

「幻想曲」という名は題名に迷ったらとりあえずつける自由な曲、くらいの意味と聴いたこともありますが、ぼくは本当の意味で“幻想”の曲だと思うのです。

 

演奏は、アレクサンデル・ヴァウリン。ガーシュインからドビュッシーメトネルまで幅広いレパートリーを持つピアニストです。

 

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名曲紀行 vol.16 ナザレー《オデオン》《ペリゴーソ》

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エルネスト・ナザレー(1863~1934)

こんばんは。Raindropです。

 

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今夜は、ブラジルナザレー作曲《オデオン》《ペリゴーソ》の二本立てでお届けします!

 

前回からすれば一気に南に飛ぶことになりますね。南米といえばピアソラの出身地・アルゼンチンの方が音楽的には有名でしょうか。あのアルゲリッチバレンボイムも輩出していますし。けれど、ブラジルにも偉大な作曲家がいるのです。

 

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南アメリカの地図(アサヒネット様HP*1より)

 

よくご存じの人は、ヴィラ=ロボスを思い浮かべたかもしれません。

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エイトル・ヴィラ=ロボス(1887~1959)

ブラジル風バッハなどで有名ですね。しかしその先輩が、“ブラジルのショパン”と称されるナザレーでした。

 

彼が愛したブラジルの、民俗音楽に根差した素朴な曲をたくさん作ったナザレー。

音楽は気軽に楽しまれるべきだ、という哲学を持っていた彼は、ブラジルのポピュラー音楽ショーロに特に親しみ、今に続く発展の基礎を築いた人物としても知られています。

 

彼は、その異名に偽りなく、幼少期からショパンの曲によく親しみました。そのため、作風にはショパンの影響もかなりあったようです。それから、このコーナーで以前ご紹介した、あのゴットシャルクにも大きな影響を受けたらしい。

 

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ルイス・モロー・ゴットシャルク(1829~1869)。いつも彼の写真だけ大きくてすみません💦

ゴットシャルクは、リオデジャネイロでのデビューによって、ブラジル楽壇に一旋風を巻き起こします。その風をもっとも近くで受けたのがナザレーだったのです。

 

敬愛するショパンをなぞるように、コンポーザーピアニストとして活躍したナザレ―は、47歳の時から当時の知識人が集まるシネマ《オデオン》のロビーで演奏活動を始めます。

 

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シネマ・オデオン

そう、今日の《オデオン》は、この映画館の名前だったのです。

オデオンではのちにヴィラ=ロボスもチェロ弾きとして活躍し、ふたりは共に演奏をして大いに人気を博しました。のちにヴィラ=ロボスはナザレ―のことを「ブラジルの魂を真に具現化する音楽家」と絶賛しています。

 

そんなナザレ―の《オデオン》。きっと楽しい気分になれるでしょうし、どこか映画館につきものの哀愁も感じられるかもしれません。

 

さて、もう一曲は《ペリゴーソ》。

ペリゴーソとは「危険人物」の意。けれど、根っからの危ない人、というよりは、ちょっとおどけた感じの危険な人という雰囲気があります。

 

ナザレーがこの曲に込めた厳密な意味はよくわかっていないのですが、彼は身の回りの様々なものからタイトルを付けたことで知られ(オデオンもそうですね)、いわば生活派ともいえる人でしたから、ペリゴーソもまた、誰か身近な人物、親しみのある光景を自然に思い起こしてつけられたタイトルなのでしょう。

 

なかなか馴染みのないブラジル音楽かもしれませんが、この機会にいろいろ楽しんでみてくださいね。

 

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