名曲紀行 vol.28 グラナドス《演奏会用アレグロ》
こんばんは。Raindropです。
本日も名曲紀行のお時間です。
グラナドス、ご存じですか?自分としてはスペインの大好きな作曲家なので、どこかで「一般にあまり知られていない」と書いてあるのを見たときはちょっとショックでした。
というわけで、皆さんにもグラナドスを(もっと?)知っていただきたいと思います。
グラナドスは「スペインのショパン」との異名をとり、ピアニストとしても幅広く活躍しました。
1800年代後半から1916年まで生きているため、ドビュッシーの五歳年下といえば、何となくイメージが湧くでしょうか。
そんなグラナドスですが、スペインの情熱的な民族色と後期ロマン派の洒脱さを併せ持つ、天才的な作曲家でした。たとえ散歩中であっても、浮かんだ旋律を白いものにひたすらに書き写す毎日で、ワイシャツの袖が真っ黒になっていたとか。
しかし、彼もある時悲劇的な最期を遂げます。
時は1916年、第一次世界大戦真っただ中の折、ニューヨークで彼の最高傑作と名高い《ゴィエスカス》の初演に立ち会った帰りのこと。イギリス経由で帰国する際、乗っていた船がドイツの潜水艦による攻撃を受け、沈没。グラナドスも一度は脱出しましたが、逃げ遅れた夫人を助けるために海に飛び込み、共に帰らぬ人となりました。
さて、この曲は、若さと情熱溢れるグラナドスが、マドリード音楽院の作曲コンテストに応募するために作った曲です。
1903年10月、マドリード音楽院でピアノ科の卒業試験に使われる曲を、コンテスト形式で募集しました。24人が応募し、その中で審査員の満場一致という形で優勝を手にしたのがグラナドスだったのです。
そのほかの23人の中には、あの《恋は魔術師》〈火祭りの踊り〉などで知られるファリャも含まれていました。
錚々たる面々を差し置いての優勝ですから、この《演奏会用アレグロ》がどれほど優れた作品か、お分かりいただけると思います。
彼が最後にこの曲を演奏したのは、なんとアメリカ大統領ウィルソンの前でした。
1916年、ホワイトハウスに招かれ、大統領に聴かせる曲として、彼はこの曲を選んだのです。おそらくは、自分が人生でこの曲を弾くのが最後になるとはつゆ知らず……
演奏は、グラナドスの孫弟子にあたり、瀟洒にしてきらびやかな演奏で幅広いレパートリーを持ち、スペイン音楽を世界に広めた立役者でもある、アリシア・デ・ラローチャ。“スペインのショパン” を体現したような音楽世界を見せてくれます。