名曲紀行 vol.25 ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》
こんばんは、Raindropです。
本日も名曲紀行のお時間です。
今夜は、ロシア。ラフマニノフ作曲《ピアノ協奏曲第2番》をお届けします。
今日3月28日はラフマニノフの命日でしたので、彼の代表作を選んでみました。
現在何かと話題のロシアですが、ラフマニノフは、今のロシアの前身であるソヴィエトが大嫌いでした。
1917年、十月革命が成功してボリシェヴィキが政権を掌握すると同時に、家族を連れてロシアを出国します。当時かなりの数の文化人がソヴィエト・ロシアから脱出し、亡命しましたが、ラフマニノフも同じ。特に、当時既に名声を得ていた人物が揃って亡命したのです。
さて、今日の一曲《ピアノ協奏曲第2番》は、ロシアで生まれたピアノ協奏曲の最高峰に位置づけられる作品です。実は、ラフマニノフにとって、長いスランプを克服した記念碑のような作品でもありました。
モスクワ音楽院を卒業すると同時に作曲家として華々しいスタートを切ったラフマニノフですが、《交響曲第1番》で大失敗。今からみれば決して悪い作品ではないのですが、当時の聴衆には受け入れられなかったようで、「聴くに堪えない」とすら言われる酷評ぶり。これにラフマニノフは「卒中に見舞われた」ようなショックを受け、深刻なノイローゼになってしまいます。
そんなラフマニノフに救いの手を差し伸べたのが、モスクワの精神科医ニコライ・ダールでした。
彼は医者でありながらチェロをたしなみ、音楽にはかなり造詣が深かったようです。ダールが用いたのは催眠療法。
「あなたは協奏曲が書ける……作曲はすらすらとはかどる……すばらしい協奏曲が出来上がる」と刷り込み続け、ついに完成したのがこの不朽の名作《ピアノ協奏曲第2番》だったのです。
第一楽章が最も有名ですが、改めて聴くとその雄大さ、荘重さに圧倒されます。オーケストラとピアノが共にダイナミックで、メロディーもわかりやすく、飽きさせません。緩徐楽章にあたる二楽章も、甘美で魅惑的ながら停滞することはなく、ロンド風の三楽章も、最終楽章にふさわしい疾走感で迎えてくれます。
さて、今日の音源はカラヤン指揮、ピアノはアレクシス・ワイセンベルク。
カラヤン&ベルリンフィルが「氷の上を滑る重戦車」と呼ばれていた1970年代の演奏で、ワイセンベルクもその数年前に華々しいカムバックを果たしたばかりでした。
気宇壮大で、重厚感のある圧倒的なオーケストラに、まったく引けを取ることなく、死闘を繰り広げながらも時に寄り添う、《ピアノ協奏曲第2番》の演奏史上特筆されるべき名演です。
カラヤンと同様、ピアニストとしてのワイセンベルクは時に激しく批判されます。これは彼の氷の彫像のような、冷徹にすら思える演奏スタイルに拠りますが、はっきり言って、過剰な感傷を究極的にそぎ落とし、作曲家の残した音のみを鋭く追求し続けたワイセンベルクは、ドビュッシーを筆頭に史上最高峰ともいえる録音を数多く残しており、この協奏曲もその一つだと思います。
言わずと知れた名曲ですが、この機会に通して聴き直してみては?
きっと何か発見があるはずです。
カラヤンとワイセンベルクの貴重な共演(むしろ競演!)映像も必見。