【感想】『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ! (※ムリじゃなかった!?)』3巻
はじめまして。Raindropです。
TwitterやPixivでお世話になっている方、いつもありがとうございます。
さて、この度初めてブログに手を出しました。理由はひとつ。『わたなれ』3巻の感想を書くためです。
※この感想にはネタバレを盛大に含みます。まずはぜひお手に取ってお読みになることをお勧めします。というか、絶対読んでください。そして、今世紀最大の尊さの大波にもまれてください。
そもそも、ブログを書いている人間が、二周目を読み終わった直後の興奮の中で嵐のような感情で書いているので、ストーリーを追うのがおろそかになっていたり、本編を読んでいないと意味不明だったりする箇所がたくさんあります。これも情熱的な作品への愛の爆発ということで、どうかご容赦ください。
概要
『わたなれ』は早くも3巻になりますが、初めて知りました、という方もいらっしゃるかと思いますので、基本情報として集英社様の書籍情報のリンクを貼らせていただきます。↓
わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 3/みかみてれん/竹嶋 えく | 集英社の本 公式
お話の始まりは夏、なんと家族と喧嘩してしまった大天使・瀬名紫陽花さんが、家出を決意します。
それを聞いた甘織れな子は、大天使を守るために家出の旅についていくことを決意。
こうしてひと夏の二人きりの旅行が始まります。
……こうして書いてみると、いかに自分があらすじを書くのが下手かよくわかりますね。悲しい。
さて、感想とは申しましたが、まずはTwitterでチラチラ投稿していたことをもう少し詳しく話そうと思います。
みかみてれん先生の超絶技巧
#わたなれ
— raindrop (@raindrop_baron) 2021年4月24日
3巻のまだ前半なんですけど、これてれん先生小説の技巧的にもすごいことしてるんじゃ……?
百合の神とラノベの神の兼任とか大明神じゃん…(?)
こんなつぶやきをしていたんですね。しかも読み始めてすぐくらい。
どういうことかと言いますと、まず章立てにご注目。
本書の章立ては以下のようになっています。
プロローグ
第一章 紫陽花さんのお宅訪問とかムリ!
第二章 ふたりっきりの旅行なんてムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)
第三章 夏休みがもう終わる!ムリ!
エピローグ
*1
これだけではありません。さらに「瀬名紫陽花のお話」として6つのエピソードが挿入されます。それを反映させた上で目次を書き直すと以下の通り。 赤字が紫陽花さんパートです。
プロローグ
プロローグ
第一章 紫陽花さんのお宅訪問とかムリ!
第三章
第二章 ふたりっきりの旅行なんてムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)
第二章
第三章 いつまでもこのままでいるのは、ムリ?
第一章
第四章 夏休みがもう終わる!ムリ!
第四章
エピローグ
エピローグ
これ、ものすごいことをしているんです。ぼくはそう思う。
ぼくが思い出したのは、アガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』です。
あの小説も、所々に「ヘイスティングズ大尉の記述ではない」という章が挿入されます。これによって、二つの視点による並行的なストーリー進行が可能になり、物語により一層の厚みが生まれます。
この小説においても、所々に紫陽花さん視点が挿入されることで、物語の厚みが増しているんですね。
しかも、それだけにとどまりません。
なんと、我らがみかみてれん先生は、その手法をさらに発展させた手法を用いているんです。
先ほどの目次を冷静に見てください。紫陽花さん視点では「三→二→一」と時間軸が反転していることにお気づきでしょうか。
そう、この本において読者はかなり早い段階で、紫陽花さんとれな子の家出旅行が一区切りを迎えた場面に遭遇するんです。言ってしまえば、軽い自己ネタバレ。
正直に言うと、この時点でぼくの期待感が少ししぼみました。なんだ、もうわかっているじゃんかと。
ここまで読んで、既読の人はニヤニヤしているんじゃないかと思います。
我らがみかみてれん先生が、我々をがっかりさせるはずがありませんね?
私は先ほど時間軸が反転していることを述べたときに、敢えてその先までは言及しませんでした。
ここで改めて目次を見てください。
紫陽花さんパート、第一章のあとに第四章、そしてエピローグが控えていますね?
これにぼくは完全にやられました。
思わず電車の中で限界を迎えた声が漏れ、周囲の人はぼくを怪しげな目で眺めました。同乗者の方々、すみませんでした。
でも、声が漏れずにはいられません。精神が爆発します。何もかも吹き飛んで、全宇宙が尊さとかわいさで満たされます。
ここからさらに本格的なネタバレになりますのでご注意を。
クソデカ感情あれこれ
この本は、基本的には語り手をれな子に置き、れな子を中心に物語を進めているように見えますが、本当の主人公は紫陽花さんだと思います。
あ、といっても、もちろんれな子も悩み、悶え、紫陽花さんの可愛さに震え、その他いろいろ活動しますから、ダブル主人公と言った方がいいでしょう。主人公が二人いる小説です、これ。
それはそれとして、とにかく紫陽花さんはれな子に特別な思いを持っています。「瀬名紫陽花のお話」の中でも「友達」という言葉が繰り返されますが、ふつうの友達を越えた、特別な存在には違いありません。
しかし、あくまでも紫陽花さんはれな子を「友達」と呼びます。心の中ですら、「ずっと友達だよ」と語りかけます。
これは、れな子に向けた言葉のようでいて、その実自分自身に言い聞かせる言葉。本当は違う色の感情を抱えていながら、「いい人」でいたい、他人のものを欲しがらない彼女は、それを押し込めて、れな子は友達なんだと繰り返すのです。
この時点で、紫陽花さんが抱えるれな子への本心が鮮やかに浮き彫りになります。
しかし、それは我々読者の中での話。紫陽花さん自身がそれをはっきりした言葉でとらえるのはまだ先の話です。
紫陽花さんの中で、恋を自覚しつつもそれをはっきりした想いとして自分を肯定してあげられる段階ではなかったのが第三章なんじゃないかと勝手に思っています。
ここで思い出されるのが、時間軸としてはそのひとつ前にあたる第一章。
この胸の高ぶりが恋なんだって、ほんとは最初から気づいていたのだった。
しかしこれはあくまでも地の文。恋心を自覚することと、その気持ちが「恋」であると、はっきり心の中であっても言語化し、その言葉を肯定するのはまったく別なのです。紫陽花さんとしては頭のどこかで本能的に、れな子への気持ちが恋であることはわかっていました。けれどそれを受け入れるまでに至っていなかった。
プロローグで「恋」という言葉が出てきていますが、これも地の文なので、紫陽花さんの心の声とは若干違うのです。そのシーンのカメラが紫陽花さんを向いていたとしても。
ここまで書いて完全に興奮状態になっていることに気づかされます。落ち着け、落ち着くんだ。
そして私的に指折りのハイライト。芦ヶ谷のスパダリ・王塚真唯の言葉がずっと引っかかっていた紫陽花さんは、旅行が終わって夏休みも残り少なくなったある日、中学時代の友人とファミレスで食事をします。
そのすぐ後に、なんと真唯と遭遇することになるのです。
その時、フラッシュバックする旅行中の真唯の台詞。
紫陽花さんは、その言葉に呼応するように、ついに自分の気持ちをすべて受け入れて、想いを言葉に乗せることができたのです。(具体的なセリフは書かなくとも、皆さんの中に焼き付いているはず)
この小説の最大の魅力は、大天使紫陽花さんの鮮やかな心のグラデーションにあるといっても過言ではありません。
これを余さず伝え、宇宙一のかわいさと尊さを我々に見せてくださったのは、みかみてれん先生、そして竹嶋えく先生の驚異的な筆の力です。二柱の大明神の御加護を受けて、ぼくは毎日を生きています。
そして最後に正直に言います。
ラノベを読んで泣いたのは初めてです。
4巻も出る気配がしているそうなので、本当に楽しみです!
皆様もご一緒に、もうはまっている人は更に深く、みかみてれん沼に沈んでいきましょう。