名曲紀行 vol.9 シベリウス《交響詩「フィンランディア」》
おはようございます、Raindropです。
本日も名曲紀行のお時間です。
今朝も、フィンランド。シベリウス作曲《交響詩「フィンランディア」》をお届けします。
某所で「なぜ中立の立場にいるはずのフィンランドがウクライナに味方するのか」という疑問がでました。つまり、なぜフィンランドはロシアに反感を持っているの?ということです。
それに対する回答も兼ねて、今日は《交響詩「フィンランディア」》からフィンランドとロシアの歴史を繙いていきましょう。
フィンランドとロシアの歴史
今のフィンランドの人々の祖先となるフィン人は、一世紀ごろにバルト海沿岸から北上してきたと言われています。
スオミ、ハメ、カレリアの三部族に分かれていましたが、12世紀に入ってスウェーデンが十字軍遠征を行った結果、フィンランドはスウェーデン王国の統治下にはいります。その後、今のロシアの大元となるノヴゴロド国(南東)とスウェーデン(西)に圧迫され続け、1809年にはロシアに併合されてしまいます。
この頃から、民族叙事詩カレワラの編纂運動が盛んになり、フィンランドのアイデンティティが強烈に意識され始めます。これがシベリウスの作曲の根底にあったことは有名ですね。
ロシアがフィンランドを支配するうえで決定的だったのは、ロシア帝国による同化政策でした。ロシア語の強制などによる文化の抑圧に始まり、1901年にはフィンランド軍を解体してロシア軍に編入するという暴挙に出ます。
しかし、そのロシア帝国にも破滅の時期が迫っていました。
1917年、ロシア革命が勃発。ロマノフ王朝をトップとするロシア帝国が倒れ、新しく樹立されたレーニン政権のもとでフィンランドの独立が承認されるのです。
こうしてフィンランドが独立を達成したのもつかの間、第二次世界大戦が勃発すると、ソヴィエトがフィンランドへ侵攻します。世にいう冬戦争の始まりです。
フィンランドは善戦したものの、規模で勝るソヴィエトを完全に撃退することはかなわず、南東部の割譲に至ります。
更には独ソ戦に端を発する継続戦争に巻き込まれ、1944年に休戦協定を結ぶものの、領土の12%を割譲、海軍基地提供、重い賠償など、ロシアによってフィンランドは大打撃を受けるのです。
《交響詩「フィンランディア」》の誕生
さて、そんな苦難の歴史において、独立を模索していた時期に生まれたのが、フィンランドの国民的作曲家シベリウスでした。
第一次世界大戦へと至る、ヨーロッパ落日の重い足音が聞こえてきた、1899年。
この時、新聞への弾圧に抗議して、「新聞祭典の催し」というのが開かれます。そこで上演されたのが、フィンランドの歴史や神話、心のふるさとがつまった叙事詩・カレワラを基にした『歴史的情景』という舞台劇。
シベリウスがその劇のために作った音楽こそが、8曲から成る劇音楽「フィンランドは目覚める」でした。
その8曲のうちの終曲に改訂を加えて生み出されたのが、この《交響詩「フィンランディア」》。
当然ロシア政府に睨まれて上演禁止となりますが、この音楽こそが、フィンランド国民すべての愛国心の火をさらに燃え上がらせ、心の拠り所にすらなっていったのです。
そしてその18年後、フィンランドは念願の独立へと至ります。
中間部のあまりに美しいフレーズは、実はキリスト教の讃美歌にも使われています。
それは、298番「やすかれわがこころよ」。
シベリウスの生み出したフィンランド愛あふれる名曲は、時代や国を超えて愛され続けているんですね。
この曲が、今この瞬間も艱難の中にあるウクライナの人々を、少しでも癒し、勇気づけることができますように。