雨垂雑記

百合好きの備忘録

名曲紀行  vol.4 ゴドフスキー《ジャワ組曲》

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レオポルド・ゴドフスキー(1870~1938)

 

こんにちは、Raindropです。

 

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今日は、インドネシアジャワ島ゴドフスキー作曲《ジャワ組曲》です。

 

ゴドフスキーの名はショパンエチュードの編曲などで聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。ポーランド出身で、数々の超絶技巧編曲で知られる彼ですが、この曲集はオリジナル。オランダ植民地時代のジャワ島を訪れた時の印象を編んだ曲集です。

 

王家のガムラン演奏に始まり、影絵人形劇、祭りの風景、湖のほとりで飛び回る猿の景色、静寂に包まれた神秘の夜のボロブドゥール遺跡などなど。東洋のエキゾチズムに酔うことができる、まさしく副題の通り「ピアノのための音紀行」です(このコーナーの名前も実はここからつけました)。

 

この曲集の底に流れるガムラン音楽は、西洋の音楽家たちに大きな影響を与えました。ゴドフスキーは実際に現地を訪れましたが、そうでなくても、例えばドビュッシーなどはパリ万博で見聞きしたガムラン音楽に感動し、《版画》第一曲〈塔〉などに東洋趣味を取り入れています。ちょうど絵画の世界でも、その二十年ほど前に、ゴッホやモネなどがジャポニスムに傾倒したことがありました。それまで別々の発展を遂げていた東洋と西洋の芸術は、ここに至って美しく交差し、新たな文化を花開かせることになったのです。

 

ゴドフスキーはポリフォニーの技法で知られ、とても複雑な音楽をつくっています。ポリフォニーは要するに多声部。バッハを思い起こしていただければよいかと思いますが、「メロディーと伴奏」ではなく、「いくつものメロディーが絡み合う」音楽です。

 

このポリフォニーは西洋特有のものではなく、特にガムラン音楽においても独自の発展を遂げていました。その音楽にゴドフスキーが魅せられたのは、ある種必然であったかもしれません。

 

《ジャワ組曲》は、全部で12曲あるのですが、実は三曲一塊の四巻構成。

 

第一巻:1.ガムラン、2.ワヤン・プルウォ、3.偉大な日(ハリ・ブサール)

第二巻:1.聖ウェンディット湖のけたたましい猿たち、2.月夜のボロブドゥール、3.夜明けのブロモ火山と砂の海

第三巻:1.三つの舞曲、2.ボイテンゾルグの植物園、3.バタヴィアの旧市街にて

第四巻:1.クラトン(王宮)にて、2.ジョグジャの水の宮殿跡、3.ソロの宮廷行列

 

となっています。

 

ガムランは、もちろんガムラン音楽。けれど、どこかサマセット・モームの『雨』に通じるところもあります。

 

ワヤン・プルォというのは、影絵人形劇。日が暮れた後に始まり、なんと一晩中続くという壮大な人形劇です。テーマになるのは『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』といった叙事詩ヒンドゥー教の影響が垣間見えます。

 

ハリ・ブサールは、お祭りの日の光景ですね。皆が陽気に踊り騒ぎ、ジャワ島に伝わる民謡のメロディーがまるで織物のように交錯する、活気に満ちた曲です。

 

聖ウェンディット湖は、かつて猿が飛び回る観光名所でした。しかし開発によって猿たちは激減してしまったそうですが……ゴドフスキーが訪れた当時には、湖の周りを木から木へ飛び移る、愛らしい猿たちがたくさんいたようです。

 

ボロブドゥールは、ご存じ世界遺産になっている仏教遺跡。はっきりした調性を持たず、まるで印象派のような音楽です。ドビュッシーといいゴドフスキーといい、月の光は重要なテーマだったようですね。

 

ブロモ火山とは、ジャワ島にある巨大な活火山で、聖なる山として信仰の対象にもなっています。ゴドフスキーはここに早朝登山で登り、山頂からの日の出を眺めたようです。その時に、火山灰で埋まったカルデラを見て、「砂の海」と呼んだとのこと。ジャワ島の雄大な自然への感動が、ダイナミックに伝えられています。

 

3つの舞曲では、その名の通りコンパクトにまとまった舞曲三本立てになっています。ゴドフスキーはジャワ島を観光する中で、一番踊りに惹かれたようで、ジャワ島の人々ほど踊りが心と一体になった民族はいない、みたいなことを言っています。

 

ボイテンゾルというのは、オランダが植民地経営のために作ったアジア最大の植物園。今はボゴールという名で知られています。少し前に流行ったタピオカの原料となるキャッサバ、マラリアの特効薬キニーネ、世界史を大きく動かした嗜好品タバコやコーヒーは、すべてここから世界へ広がっていったとすら言えるでしょう。「ゴドフスキーの音楽の中で一番美しい曲」とも評されます。

 

バタヴィアは、今のジャカルタ。軽快できらびやかな幕開けでは、複数の声部や跳躍、東洋的な和音を駆使して、にぎやかに動き回るジャカルタの喧騒が描かれます。中間部では一転して哀愁が前面に押し出された瞑想風の美しいメロディーが展開しますが、やがてまた元のにぎやかさが戻ってくる、そんな素敵な小品になっているのです。

 

クラトン(王宮)は、ジョグジャカルタにある宮殿。実はジャワ島には二つの王宮があり、そのうちの一つです。植民地という言葉で既にお気づきでしょうが、この王宮にも植民地化とそれに対する抵抗、そして敗北という悲痛な歴史が刻まれています。華やかなはずの王宮の音楽から聴こえてくる哀愁のメロディーは、ジャワ音楽特有のものでもありますが、歴史の悲しさを背負っているようにも聞こえてきてならないのです。

 

ちなみに、現在は、インドネシア独立戦争を経て、オランダの手からジャワ島の人々の手に取り戻され、王宮の主、つまりスルタンは今でも健在。ジョグジャカルタ特別州の知事という形で残り、スルタンとその家族が王宮に住んでいます。もちろん、ジョグジャカルタ王宮親衛隊という衛兵に守られながら。

 

続く〈ジョグジャの水の宮殿跡〉のジョグジャは、ジョグジャカルタ。つまり前の曲の王宮に付属する、タマン・サリという美しい離宮を描いた音楽です。タマン・サリは「美しい花園」という意味で、曲名通り「水の王宮」という別名を持ちます。曲自体はラヴェルの《水の戯れ》とよく比較され、近代音楽に現れた水の描写への試みの一環といえるでしょう。

 

そして長かった音紀行の最後を飾るのが、〈ソロの宮廷行列〉。今はソロではなくスラカルタという名になっています。〈クラトン〉の項で、ジャワ島には二つの王宮があると言いましたね?このスラカルタの王宮こそが、ジョグジャカルタと並び立つ二つ目の王宮。元々はマタラム王国の王家でしたが、王位継承戦争によってジョグジャカルタの王家(スルタン家)とこのスラカルタの王家(ススフナン家)に分かれました。今でもスルタン家同様、王家が存続しています。とはいえ、オランダ時代に宗主国側に恭順したことで、却って民衆からの支持を失い、自治権は失ってしまうことになりました。

 

このスラカルタ(ソロ)こそが、ジャワ島の伝統文化の中心地。その豪華絢爛さと、ずっと繰り返してきたジャワ島の哀愁の対比が鮮やかな、曲集全体のラストを飾るにふさわしい名曲です。

 

どの曲も魅力的ですが、強いておすすめをあげるとすれば、1.ガムラン、4.夜明けのブロモ火山と砂の海、9.バタヴィアの旧市街にて、10.クラトンにて、12.ソロの宮廷行列の五曲です。

 

共に東洋の哀愁と情熱を味わいましょう。

 

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