雨垂雑記

百合好きの備忘録

名曲紀行 vol.29 A.ジョイス《秋の夢》

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アーチボルド・ジョイス(1873~1963)

 

こんばんは。本日も、名曲紀行のお時間です。

今夜は、イギリスA.ジョイス作曲《秋の夢》をお届けします。

 

ジョイスは、知る人ぞ知るイギリスのワルツ王。

イギリスのワルトトイフェル」「まともなワルツを書く初めての英国人」と称されました。どれだけいいワルツがそれまでなかったんでしょうかね。

ちなみにワルトトイフェルは《スケータースワルツ》などで知られるフランスのダンス音楽作曲家です。まぁ、それはそれとして。

 

冒頭から胸に沁みるようなメロディーで、曲は幕を開けます。まるで映画音楽のような趣。スケールが大きく、秋独特の哀愁を漂わせ、イギリスの、フランスとはまた違った趣でのしゃれた雰囲気を余さず伝えてくれる曲だと思います。

 

ちなみに、かの豪華客船タイタニックが沈没するときに、そんな状況下でも楽団が演奏し続けた曲なんです。ほかの曲、という説もありますが、この曲が有力です。

 

というのも、ジョイスが船上のバンドマスターだったウォレス・ハートリーと友人で、ハートリーは様々なプログラムで曲を演奏していましたが、その最後にはほとんど必ずと言っていいほどこの《秋の夢》を演奏していたそうです。

 

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ウォレス・ハートリー(1878~1912)

 

なぜ今日この曲なのか。お分かりになった方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

そう、ちょうど今から110年前(4/14夜~4/15朝)、タイタニック号が沈没したのです。

 

イギリスのサウサンプトンを出たタイタニック号。ニューヨークへ向かう途中、氷山に気付くのが遅れた船は、ものすごい勢いで氷山に突っ込んでしまいます。

 

ハートリーをはじめとしたバンドのメンバーは皆亡くなってしまいましたが、彼らは最期の瞬間まで、この《秋の夢》を演奏しながら、海の底へと沈んでゆきました

オーケストラの面々、特にハートリーは、どんな気持ちで盟友の書いた美しい曲を奏でたのでしょうか。そんなことにも思いを馳せて、聴いていただければと思います。

 

1997年の映画タイタニックでも、最後まで演奏を続けるシーンがありますが、そこで流れる曲は讃美歌「主よ御許に近づかん」。

 

けれど、実際のところは讃美歌ではなく、この無二の友人が作った名曲《秋の夢》というのも、なかなか色々感じるところ・考えるところがあるのではないでしょうか。

 

タイタニックが沈む、その最期の瞬間まで、名曲は盟友と共に。

 

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名曲紀行 vol.28 グラナドス《演奏会用アレグロ》

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エンリケ・グラナドスイ・カンピーニャ(1867~1916)

 

こんばんは。Raindropです。

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今夜は、スペイングラナドス作曲《演奏会用アレグロ》です。

 

グラナドス、ご存じですか?自分としてはスペインの大好きな作曲家なので、どこかで「一般にあまり知られていない」と書いてあるのを見たときはちょっとショックでした。

 

というわけで、皆さんにもグラナドスを(もっと?)知っていただきたいと思います。

 

グラナドスは「スペインのショパン」との異名をとり、ピアニストとしても幅広く活躍しました。

1800年代後半から1916年まで生きているため、ドビュッシーの五歳年下といえば、何となくイメージが湧くでしょうか。

 

そんなグラナドスですが、スペインの情熱的な民族色後期ロマン派の洒脱さを併せ持つ、天才的な作曲家でした。たとえ散歩中であっても、浮かんだ旋律を白いものにひたすらに書き写す毎日で、ワイシャツの袖が真っ黒になっていたとか。

 

しかし、彼もある時悲劇的な最期を遂げます。

 

時は1916年、第一次世界大戦真っただ中の折、ニューヨークで彼の最高傑作と名高い《ゴィエスカス》の初演に立ち会った帰りのこと。イギリス経由で帰国する際、乗っていた船がドイツの潜水艦による攻撃を受け、沈没。グラナドスも一度は脱出しましたが、逃げ遅れた夫人を助けるために海に飛び込み、共に帰らぬ人となりました。

 

さて、この曲は、若さと情熱溢れるグラナドスが、マドリード音楽院の作曲コンテストに応募するために作った曲です。

 

1903年10月、マドリード音楽院でピアノ科の卒業試験に使われる曲を、コンテスト形式で募集しました。24人が応募し、その中で審査員の満場一致という形で優勝を手にしたのがグラナドスだったのです。

 

そのほかの23人の中には、あの《恋は魔術師》火祭りの踊り〉などで知られるファリャも含まれていました。

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マヌエル・デ・ファリャ。代表作に《恋は魔術師》《三角帽子》など。

錚々たる面々を差し置いての優勝ですから、この《演奏会用アレグロ》がどれほど優れた作品か、お分かりいただけると思います。

 

彼が最後にこの曲を演奏したのは、なんとアメリカ大統領ウィルソンの前でした。

 

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ウッドロウ・ウィルソン。第28代アメリカ大統領。国際連盟創設を提唱した。

 

1916年、ホワイトハウスに招かれ、大統領に聴かせる曲として、彼はこの曲を選んだのです。おそらくは、自分が人生でこの曲を弾くのが最後になるとはつゆ知らず……

 

演奏は、グラナドスの孫弟子にあたり、瀟洒にしてきらびやかな演奏で幅広いレパートリーを持ち、スペイン音楽を世界に広めた立役者でもある、アリシア・デ・ラローチャ。“スペインのショパン” を体現したような音楽世界を見せてくれます。

 

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参考文献:平井丈二郎・平井李枝編『グラナドス:演奏会用アレグロ全音楽譜出版社、2019

名曲紀行 vol.27 マクダウェル《森のスケッチ》

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エドワード・マクダウェル(1860~1908)

 

こんばんは。Raindropです。

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今夜は、アメリマクダウェル作曲《森のスケッチ》をお届けします。

 

マクダウェルって誰?という方が多いでしょうから、ざっと彼の生涯を振り返ってみましょう。

 

マクダウェルドビュッシーの一つ年上という世代で、実はパリ音楽院では先輩と後輩の関係でした。そんな彼は3年ほどパリにいた後ドイツへ行き、作曲家兼ピアニストのヨアヒム・ラフに師事します。

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ヨアヒム・ラフ(1822~1882)

さらに《ラ・カンパネラ》で知られるフランツ・リストとも親交を持ち、リストに目を懸けられたことでドイツでコンポーザーピアニストとして活躍しました。

 

ラフはリストの助手でしたから、マクダウェルにとっては師弟関係が思わぬ縁を運んでくれた、といえるかもしれません。

 

さて、こうしてヨーロッパ時代が長かったマクダウェルですが、27歳でアメリに帰国、音楽の教授として活躍しますが、41歳の時、交通事故により脳障害を起こしてしまいます。そうして精神異常にも悩まされることになり、46歳の若さで世を去りました

 

そんな彼の《森のスケッチ》。ヨーロッパ時代が長かったにも関わらず、インディアン黒人の音楽もどん欲に吸収し、極めてアメリカ的な音楽を次々と作曲、アメリカ音楽の発展に尽力したマクダウェルらしい小品集です。

この曲集も、森に魅せられた印象が、やさしく光を放つような珠玉のピースにまとめられています。

 

音楽の舞台はアメリカ東部。ニューハンプシャー州はピーターボロ、森と水辺が美しい、牧歌的な一面も持った素敵な町です。

せっかくですから、↓のホームページで写真を見てみましょう!

きっと訪れたくなりますよ~(今は時節柄、そうもいきませんが……^^;)

 

www.tripadvisor.jp

 

さて、この《森のスケッチ》、全曲を通してひとつのストーリーのように仕立てられており、

1.〈のばらに寄す

2.〈鬼火

3.〈懐かしき思い出の場所で

4.〈秋に

5.〈インディアンの小屋から

6.〈睡蓮に寄す

7.〈リーマスおじさんから

8.〈荒れ果てた農園

9.〈牧場の小川で

10.〈夕べの語らい

 

と、秋の散歩道を思わせる構成。いずれも耳に心地よく、穏やかな気持ちにさせてくれる音楽たち。特に6.〈睡蓮の花に寄す〉は絶美です。

 

詩的で文学的な曲のタイトルは、リストやラフの影響によるのだそう。

 

二つだけ補足をすると、「リーマスおじさん」というのは、当時アメリカの子供たちの間で広く読まれていた黒人民話集マクダウェル自身も愛読したといいます。

そして、注目していただきたいのが終曲〈夕べの語らい〉。これは一日の思い出話のような曲で、曲集を通して聴いていただくと、ハッとする箇所がいくつかでてきます。お試しあれ。

 

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参考文献:門馬直美「この曲集について」『マクダウェル 森のスケッチ』全音楽譜出版社、2021、p.2~3

名曲紀行 vol.26 A.ワイセンベルク《シャルル・トレネによる6つの歌の編曲》より〈パリの四月〉

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アレクシス・ジギスムント・ワイセンベルク(1929~2012)

こんばんは。Raindropです。本日も名曲紀行のお時間です。

 

今夜は、ブルガリアA.ワイセンベルク作曲《シャルル・トレネによる6つの歌の編曲》より〈パリの四月〉をお届けします。

 

ついに四月がはじまりましたね。

人間にとっては、多かれ少なかれ新しい環境に投げ込まれ、期待と不安の入り混じる季節。街にとっては華やぐ季節だと思います。そして、街路樹や花壇の花々、山辺の草花といった自然にとっては、生命が芽吹く季節です。

 

そんな四月のはじまりを飾るにふさわしい一曲をご紹介。

 

ワイセンベルクはピアニストとしての方が有名でしょう。

前回ラフマニノフの《ピアノ協奏曲 第2番》を扱ったときのソリストでしたね。ブルガリアはソフィアに生まれ、ジュリアード音楽院で学んだ巨匠です。

 

彼はピアニストとしては、作曲家の音を復元することに心血を注いだ人で、時には冷徹と評されもしますが、『音の彫刻家』の異名通り、作曲家の、そしてその曲の真の姿をまざまざと蘇らせる演奏で聴衆を魅了する天才です。彼の指から紡ぎだされる音は、まるでクリスタルのようで、水しぶきや光の粒のような音色は、一度聴けば魅了されること間違いなし。

 

そんなワイセンベルクの編曲した今日の一曲も、彼の個性が存分に発揮された名曲といえましょう。和音の重厚さ、自然で、かつ驚異的なテクニック。ふとした瞬間に見せる甘い横顔。そして何より、光の粒が水面に跳ねるような、瑞々しい音楽の雨。

 

いろいろ言葉を並べてみましたが、とにかく瀟洒の一言、洒脱の一言に尽きます。

 

……あれ?二言?

 

閑話休題、パリの春は、東京より少し寒く、日本で言えば東北地方の感覚なのだそう。

けれど、華やかで、何気ない茶目っ気が垣間見える街角。八重桜も咲いて、とっても美しいようです。

 

未だ見ぬ花の都の春を描き出す、今日の一曲。

私にとっても、人生で最も大切な曲のひとつです。

 

最後に、元となったトレネの歌を紹介してくださっているページのリンクを貼っておきます。曲がより一層魅力的に聴こえてきますので、ぜひご覧ください。

 

chantefable2.blog.fc2.com

 

演奏は、今回は二つご紹介。

ひとつは作曲者自身の演奏。もっとも伝えたかったニュアンスが伝わりますが、年代の影響でノイズがちょっと……という感じ。でも、とにかく貴重な音源ですし、とっても素敵なことは間違いありません。

 

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二つ目は、超絶技巧のピアニストとして知られ、ワイセンベルクに通じるような光の音を響かせる、マルカンドレ・アムラン

 

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名曲紀行 vol.25 ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》

セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873~1943)

こんばんは、Raindropです。

 

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今夜は、ロシアラフマニノフ作曲《ピアノ協奏曲第2番》をお届けします。

 

今日3月28日ラフマニノフの命日でしたので、彼の代表作を選んでみました。

 

現在何かと話題のロシアですが、ラフマニノフは、今のロシアの前身であるソヴィエトが大嫌いでした。

1917年、十月革命が成功してボリシェヴィキが政権を掌握すると同時に、家族を連れてロシアを出国します。当時かなりの数の文化人がソヴィエト・ロシアから脱出し、亡命しましたが、ラフマニノフも同じ。特に、当時既に名声を得ていた人物が揃って亡命したのです。

 

さて、今日の一曲《ピアノ協奏曲第2番》は、ロシアで生まれたピアノ協奏曲の最高峰に位置づけられる作品です。実は、ラフマニノフにとって、長いスランプを克服した記念碑のような作品でもありました。

 

モスクワ音楽院を卒業すると同時に作曲家として華々しいスタートを切ったラフマニノフですが、《交響曲第1番》で大失敗。今からみれば決して悪い作品ではないのですが、当時の聴衆には受け入れられなかったようで、「聴くに堪えない」とすら言われる酷評ぶり。これにラフマニノフは「卒中に見舞われた」ようなショックを受け、深刻なノイローゼになってしまいます。

 

そんなラフマニノフに救いの手を差し伸べたのが、モスクワの精神科医ニコライ・ダールでした。

ニコライ・ダール。精神科の医師。

彼は医者でありながらチェロをたしなみ、音楽にはかなり造詣が深かったようです。ダールが用いたのは催眠療法

「あなたは協奏曲が書ける……作曲はすらすらとはかどる……すばらしい協奏曲が出来上がる」と刷り込み続け、ついに完成したのがこの不朽の名作《ピアノ協奏曲第2番》だったのです。

 

第一楽章が最も有名ですが、改めて聴くとその雄大さ、荘重さに圧倒されます。オーケストラとピアノが共にダイナミックで、メロディーもわかりやすく、飽きさせません。緩徐楽章にあたる二楽章も、甘美で魅惑的ながら停滞することはなく、ロンド風の三楽章も、最終楽章にふさわしい疾走感で迎えてくれます。

 

さて、今日の音源はカラヤン指揮、ピアノはアレクシス・ワイセンベルク

カラヤンベルリンフィルが「氷の上を滑る重戦車」と呼ばれていた1970年代の演奏で、ワイセンベルクもその数年前に華々しいカムバックを果たしたばかりでした。

気宇壮大で、重厚感のある圧倒的なオーケストラに、まったく引けを取ることなく、死闘を繰り広げながらも時に寄り添う、ピアノ協奏曲第2番》の演奏史上特筆されるべき名演です。

 

カラヤンと同様、ピアニストとしてのワイセンベルクは時に激しく批判されます。これは彼の氷の彫像のような、冷徹にすら思える演奏スタイルに拠りますが、はっきり言って、過剰な感傷を究極的にそぎ落とし、作曲家の残した音のみを鋭く追求し続けたワイセンベルクは、ドビュッシーを筆頭に史上最高峰ともいえる録音を数多く残しており、この協奏曲もその一つだと思います。

 

言わずと知れた名曲ですが、この機会に通して聴き直してみては?

きっと何か発見があるはずです。

カラヤンワイセンベルクの貴重な共演(むしろ競演!)映像も必見。

 

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名曲紀行 vol.24 ブリッジ《おとぎ話組曲》

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フランク・ブリッジ(1879~1941)

こんばんは。本日も名曲紀行のお時間です。

 

今夜は、イギリスブリッジ作曲《おとぎ話組曲》です。

 

ブリッジは、ブライトン出身。

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ブライトン地図(*1より)

ロイヤルカレッジに学び、ブリテンのお師匠さんとして知られています。前衛的な作風とされますが、かなり親しみやすい作風なのではないかと勝手に思っています。

 

けれど、ブリッジがいわゆる「イギリス的」な作曲家だったか、と言われれば、お世辞にもスタンダードとはいえないのです。

 

基本的にイギリスの作曲家は民謡に取材することが多いのですが、ブリッジに限っては民謡にほとんど見向きもしませんでした。彼はむしろ、当時ヨーロッパの大陸の方で流行っていた前衛主義に近いとされています。

 

ちなみに、当然彼も初めから順風満帆だったということはなく、作曲に専念できるようになったのは、クーリッジ夫人の援助が決まってからのこと。それまではヨアヒム四重奏団やイギリス弦楽四重奏団などでのヴィオラ奏者を務めたり、サヴォイ劇場、ロンドン交響楽団などで客員指揮者を務めたりもしていました。

 

ここまで彼のことを「前衛主義」として紹介してきましたが、今回ご紹介する《おとぎ話組曲はとってもメルヘンチックで親しみやすい、優しい曲集です(「易しい」ではないですよ!)。

 

全四曲からなる組曲で、1917年の作曲。この年はもちろん第一次世界大戦の真っただ中。安らげる日がなかなか訪れない中、メルヘンの世界に逃避したのがこの曲集だそうです。

 

なんだか、今の世界情勢にも通じてしまうものがありますね……

一日も早く、戦場に平和が訪れますように。

 

聴いてみればわかりますが、どこか懐かしさも漂う、とってもかわいらしい曲たち。日常、ふと辛くなってしまったときに安らぎを求めて帰っていけるような、英国メルヘンのアルバムといえるでしょう。

 

「お姫様」「鬼」「魔法」「王子様」とそれぞれ題名がついていますが、なんとまあ童話的なタイトル、そして曲調でしょうか。ぼくの一押しは「お姫様」。とても可憐でかわいらしく、一度聴いたら魅了されること請け合いです。お城の中で、小鳥と遊んだり絵本を読んだり、まさしく「童話的」な風景が浮かんできます。途中から挟まるワルツも洒脱でとても素敵。

 

それにしても、やっぱりこういうファンタジー的な要素はイギリスが一番美しい気がします。カズオ・イシグロ忘れられた巨人など、個人的には英国ファンタジーの面目躍如だと思っています(ただし、作者自身は「これはただのファンタジーではない」とコメントしていますが……)。

 

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カズオ・イシグロ

 

皆さんは、どのお話がお気に入りですか?

 

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名曲紀行 vol.23 パルムグレン《3つの小品》より〈粉雪〉/《3つの夜想的情景》より〈星はきらめく〉/《3つのピアノ曲》より〈雨だれ〉

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セリム・パルムグレン(1878~1951)

おはようございます、Raindropです。

 

本日も名曲紀行のお時間です。

 

今朝は、フィンランドパルムグレン作曲《3つの小品》より〈粉雪〉、《3つの夜想的情景》より〈星はきらめく〉、そして《3つのピアノ曲》より〈雨だれ〉をお届けします。

 

今日は東京で雪が降ったりするらしいので、ふと思い立ってパルムグレンを選んでみました。

けれど、一日でも早く、皆様に彼の繊細なピアノ曲をたくさん味わっていただきたい。ということで、ちょっと欲張って三曲いっきにご紹介します。

 

ちなみに、彼がつくった小品集のうち、《3つの○○》となっているものが4つあります。なので、曲を探す時も一苦労なのですが(笑)、やはり3という数字は何か特別なものがあるのかもしれませんね。

 

さて、パルムグレンという名前をご存じの方は、そうたくさんはいらっしゃらないのが現状ではないでしょうか。本当はもっと有名になってほしいんですけどね……

 

フィンランド南西部、西海岸の町・ポリに生まれた彼は、ブゾーニに師事したピアニスト。少年時代から作曲を始めるなど早熟な音楽家でした。そして、時代の子というか、アカデミックで近代的な性格を色濃く持っています。

 

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フェルッチョ・ブゾーニ(1886~1924)。バッハ《シャコンヌ》の編曲などで有名。

 

北欧のショパン」「北欧のシューマンの異名をとり、詩的な旋律が北欧らしい透き通ったかわいらしさ、涼しさを湛えた、童話のような曲をたくさん作った人です。

 

以前ご紹介したリトアニアのチュルリョーニスと同様、祖国ではなかなかの有名人。彼が生まれたポリには、その業績を記念して、1931年にパルムグレン音楽学が建てられました。

 

1.《3つの小品》より〈粉雪〉

そんな彼の〈粉雪〉は、一度聴いていただければすぐわかりますが、なんとまあ繊細な曲でしょうか。暗い夜の中、白い粉雪がぱらぱらと舞う情景がふっと浮かんできます。まるで絵のような曲なんです。

 

この曲、ただの雪じゃなくて「粉雪」ってなってるのがものすごくよくないですか?

 

冬の夜道、粉雪が舞うくらい冷え込む空気。静かに更けゆく夜を通して、お砂糖のように降り続けます。フィンランドの細やかな抒情に浸ってください。

 

演奏は、史上もっともパルムグレンを細やかに演奏したピアニスト、館野泉さん。

 

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2.《3つの夜想的情景》より〈星はきらめく〉

これも、とっても童話的な小品。

聴いていただければ、なるほど、と思うことでしょうが、夜空をふと見上げた時に遠くにきらめく星の瞬きが描かれた、静かな曲です。

これから夏、山に登ったりなどすると、本当に空が澄んで、数えきれないほどの星が見えますよね。ああいった、音のない夜空の星々のさやけさに思いを馳せて聞いていただければと思います。

 

どこかクリスマスの讃美歌のような情感も秘めた素敵な小品。さほど難しくはありませんから、皆さんも弾いてみてはいかがでしょう?

 

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3.《3つのピアノ曲》より〈雨だれ〉

今日の最後を飾るのは、しとやかな「雨」の情景。

透き通った高音をメインに、ほの暗い雨雲から、雨粒がひとつ、またひとつと落ちてきます。フィンランドの雨はどんな雨なのか、浅学につき知らないのですが、窓辺にしつらえた安楽椅子か何かに腰を沈めて、いつやむとも知れない冷たい雨が庭の草木を濡らすのをぼんやりと眺める。そんな情景が浮かんできます。

 

この調子では買い物も行けない。けれど、植物が育つには雨が必要ですし、人間が暮らしてゆくにも雨は必要です。そんな恵の雨が、静謐な空気の中で浮かび上がって見えるかもしれません。

 

あなたにとっての雨は、どんな雨でしょう?

 

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この機会に、パルムグレンというフィンランドの隠れた巨匠の音楽を、ぜひ味わっていただければと思います。